※この小説は、ハヤカワさんが仕事でずっとかかわっていた「リネージュ2」というMMORPGのファンフクションコンテストに投稿したものを原型としています。しかし、このコンテストは文字数の制限が非常に厳しかったため、当初の構想をすべて詰め込むことができませんでした。このため、コンテストの終了を以って、これに大幅な加筆と修正を加え、可能な限り構想に近付けたものです。ファンフィクションという性質上、リネージュ2のプレイヤー以外には分かりくいところが多いかもしれませんが、プレイヤー以外の方でもお時間があれば目を通していただけると幸いです。どえらく長いですが。
※また手を入れているので部分的に中途半端になってますよ。
・レイド部下ストーリーズ~傭兵哀歌~(無制限版)
「敵襲ーっ! ディオンの冒険者どもだーっ! 総員急ぎ迎撃体勢を取れーっ!」
朝靄に包まれた静寂を破り、伝令たちがパルチザンのアジトのそこここで襲撃の報せを大声で叫ぶ。
瞬時に山中のいたるところから、どこに隠れていたのか、武器を手にした無数のオル マフムの兵士たちが飛び出し、あらかじめ決められた持ち場へと駆けていく。
アジト全体が蜂の巣を突付いたような騒ぎとなり、最奥部近くの陣を仕切るボスのキャッツアイとその部下たちの下にも間を置かず伝令がやってきた。
「キャッツアイ様に報告! すでに麓のタラキン様は討ち取られた模様です!」
「そうかい、で、ヤツらは真っ直ぐこけえ向かってるのかい?」
「いえ、タラキン様の後はフレイムロード シャダールの方へ向かったようです」
「親分、ヤツらがあっちに引っかかってる間に準備ぃしちまいましょう」
「そうだな、もうタラキンの奴がやられちまったってんならそう時間があるってわけでもねえだろうからな。よし、みんな予ねての手配通りにやりな!」
「へいっ!」
キャッツアイの命令が下り、部下たちは急いで冒険者たちを迎え撃つ体勢を整える。
「おい、新入り、ボヤボヤするな! 急いでに配置に付け!!」
「お、おうっ!!」
殺気立ったバンデットにどやされ、突然のことにポカンとした表情で座っていた若いエンク オーク シャーマンはあわてて立ち上がると、使い古した安物のワンドを握り、いつでも回復魔法がかけられるように直属の上官であるキャッツアイの後方に立つ。
「くそぅ、来週になれば休暇でかあちゃんのところに帰れるってのに、わざわざこんな時に来やがって……」
まだ姿を見せない襲撃者に対して呪いの言葉を吐きながら若いオークは身構えるが、全身は緊張でガチガチになっていて、呼吸は周囲にそれと分かるほど荒い。
「おい、若いの、ヤツらが来るのはまだ先だ。今からそんなに力を入れちまってたんじゃあ、いざってときにゃ体ぁ固まって動けなくなっちまうぜ? いつもの仕事みてえに楽にしてなけりゃいけねえよ」
やはりキャッツアイ直属である古参のオーク シャーマンが努めて気楽そうな色で声をかけるが、若いオークはバネ仕掛けの人形のように何度も頷きはするものの、眼は冒険者たちが登ってくるはずの山道を見据えたままで、その言葉が耳に届いているのかどうか分からない。
それから小一時間も経っただろうか、一党は臨戦態勢のままじりじりとしながら待ち構えるが、未だに冒険者たちが姿を現す気配はない。戦況を報せる伝令もしばらく前からパッタリと途絶えてしまった。だが、時折アジトの中腹から聞こえてくる叫び声からすると、冒険者たちが満足してディオンに戻ったというわけではなさそうだ。
状況が分からないまま待ち続けることに切れかけたバンデットが悪態を吐き、苛立ち紛れに近くの木立に向かって矢を射込む。突然のことに驚いた鳥たちが甲高い声を上げながらバサバサと音を立てて飛び立つが、普段は陽気で口数が多いキャッツアイでさえそれに目を向けようともしない。ボスらしく引きつった笑顔を作って余裕を見せようとはしているものの、所詮元は盗賊の出身である。相手の隙を突いての侵入や逃走には長けていても、自らの根拠地に急襲を受けるような事態には慣れていないのだ。そしてそれは、この場にいる全員が同じであった。
張り詰めた空気の中で、若いオークの掌にはジワジワと汗が滲み、いつしか指の間から滴り落ちるほどになっていた。
ピチャピチャと汗が地面で跳ねる音がして、ようやくそれに気が付いた若いオークが、万一にも手を滑らせてはいけないと汚れた手ぬぐいでワンドを拭おうとしたとき、飛び交う怒号とともに、冒険者たちのものと思われる多数の武器や鎧がぶつかり合う騒々しい音が近付いてきた。
「来たぞっ! 全員油断するなっ!」
耳敏いバンデットが真っ先にその音を聞きつけて叫び、キャッツアイと部下たちは長時間の待機で緩みかけた体勢を慌てて立て直す。
そして、喧しい金属音がいっそう大きくなり、麓から続く坂の曲がり角でキラリと何かが光るのが見えたかと思うと、大勢の冒険者たちの、血にまみれた剣を鞘に納めようともせずに早足でこちらへ向かってくる姿が、若いオークの目に飛び込んできた。
冒険者の群れは、キャッツアイと若いオークたちが待ち構える陣地から数十メートルほど離れた地点に達すると、リーダーと思われる男の指示で突然その歩みを止めた。様々な種族を取り混ぜたその数は、一見するところ30名をやや下回るほどであろうか。
『全員着いたか? 遅れたもんはいねぇな?』
リーダーは近くの岩の上に立ち、乱雑に並んだ冒険者たちの顔を、大仰に頭を廻らせて確認する。どうやら全員揃っているようだ。満足気に口角を上げ、声を張り上げて指示を飛ばす。
『よしっ! ここいらで少し休んでマナの回復をするぜ! まだ先は長えんだ、無理してもしょうがねえ。マナが足りてるもんはまあ自由にしてなっ!』
麓からの連戦で魔法職の多くがマナを使い切ってしまっている。ここまで一気に駆け上がってきた勢いが途切れるのは癪だが、バケモノに大ダメージを与えられる攻撃魔法や、盾職を支えるヒーラーが使い物にならないようでは討伐の成功はおぼつかないのだ。冒険者たちは思い思いに精神の秘薬を使ったり、それでも足りない者はその場に座り込んでマナの回復に専念する。
『それじゃあオレも一休みすっからよ、マナが十分になったら教えてくれや。なに、そこのバケモノどもなら他のと違って多少は利口だからよ、この人数相手にノコノコ地から出てくるようなバカな真似はしねえさ。お前ぇたちも安心して休むといいぜ!』
そう言うと立っていた岩の上に座り込んで、腰につけた決して小奇麗とは言い難い袋の中から携行食の包みを取り出した。
リーダーが黴臭い硬パンから小さな欠片をナイフで切り取って口に運ぼうとしたとき、手持ち無沙汰なのか、手下の冒険者が一人近付いてきて何事かを囁いた。
『ねえねえ大将、つかぬことを伺えやすけどね、こかぁマフムどもの棲処なんですよねえ?』
『あぁ? 手前ぁ周り見てわかんねえのか? 人がメシ食おうってときにくだらねえこと尋くんじゃねえやっ!』
『いえ、いくらあっしが鈍いってもそのぐれえはわかりまさあね。でもね大将、こかぁマフムの棲処でやしょ、なのになんであそこにゃオークが混じってるんでやしょうね?』
手下が指さした先には、キャッツアイの背後でこちらを睨みながらワンドを握り締めるオーク シャーマンがいた。
『……そうだな、そう言われてみりゃおかしな話だな……』
この襲撃よりもしばらく前のことである。ディオン丘陵地帯の隅に棲息するエンク オークの集落では、親子らしき若いオークと年老いたオークとが口論をしていた。
「だからな、かあちゃんよ、フローランの辺りにいるリザードマンから聞いた話じゃよ、向こうに行くとアデナさえ積めば人殺しのお尋ね者でも構わず治してくれる医者がいるってことなんだよ!」
かあちゃん、そう呼ばれた年老いたオークは、長年に亘る冒険者との戦いで無数の“死がもたらす傷”を受け、ずいぶんと前から、杖に頼らなければ歩くこともままならない体になってしまっていた。今も、平らな岩の上に腰掛けているが、自由に曲げることができない両足は前の方に放り出したままだ。
「そいつならよ、きっとオレたちみたいな下級オークだって治してくれるにちげぇねえんだ。なんにも考えるこたあねえじゃねえか!」
「でもねえ、あんたはそう言うけどね……」
年老いたオークは、若いオークの話に気が乗らないのか目を逸らし、痛むのであろう膝をさすりながら口ごもる。
「確か、ブラジャー……違ぇ……ブラック ジャックでもねえし……そうだ、ブラック ジャッジとかいうヤツだぜ! フローラン村のとこのよ、川ッぺりにいるんだってよ! 見た目はダークエルフっぽいらしいんだが、誰も正体をしらねぇらしいんだ。ちっと胡散臭ぇけどよ、腕は確かだってえもっはらの噂だからよ。それによ、そいつの正体がどうだって、かあちゃんの足が治るってんなら構うこっちゃねえしな!」
年老いたオークの様子も気にかけない風に若いオークは勢い込んで話し続けるが、年老いたオークは自分の足を見ていた顔をゆっくり上げると話を遮った。
「あのね、たしかにそういった噂ならあたしも近所で聞いたことがあるよ。でもさ、そのお医者はべらぼうに高いアデナを取るって話だろう? とうちゃんが冒険者どもにやられちまってからこっち、下級オークのあたしたちにゃあ食べてくのが精一杯、とってもそんなお医者に払えるような余分なアデナなんかはありゃしないんだよ?」
その言葉を聞いて、若いオークはしてやったりという表情でにやりと笑う。
「へへへ、かあちゃんならきっとそう言うと思ってたぜ。でもよ、そんな心配は金輪際いらねえんだよ!」
若いオークは腰の物入れに手を入れると一枚の紙を取り出し、年老いたオークの目の前に突き出した。
それは、パルチザンのアジトに巣食うオル マフムの軍隊が、近隣の友好種族の集落に配布している傭兵募集のチラシだった。
「なあ、こいつを見てくれよ! パルチザンのアジトで傭兵になりゃあよ、たった一年勤めるだけでこんな大金が貰えるんだぜ!」
チラシには、勧誘のための勇ましい文句とともに、下級オークの暮らしでは十年かけても手に入らないような高給が記されていた。
「これならよ、かあちゃんをブラック ジャッジに診せたって、たんまりオツリがくるってもんだぜ!」
意気が上がる若いオークとは対照的に、年老いたオークの表情は曇ったままだ。
このチラシを配布したパルチザンのアジトとは、かつてグレシア軍がアデン大陸に侵攻してきたとき、その先鋒として大陸を席巻したオル マフム傭兵軍が拠点としている土地である。
しかし、アデン王国軍の反攻により戦線が押し戻されると、グレシア軍の上級司令部はパルチザンのアジトに残された傭兵軍を見捨てて本国に後退してしまった。こうしてアデン王国の真っ只中に孤立してしまったパルチザンのアジトであったが、峻険な山地に築かれた強固な陣地はアデン王国軍の猛攻を耐え凌ぎ、グルーディン村近郊の棄てられた露営地とともに、抵抗拠点として一応の確保に成功したのだった。
とはいえ、現在では戦線が北部のエルモア地方やグレシア本国に移動し、完全に戦略的な価値を失ってしまったためグレシア本国との連絡も途絶し、略奪等で賄える資金面はともかく、総体的にはじり貧の状態に陥っているといわれる。恐らく、本来傭兵であるはずのオル マフムが傭兵募集のチラシを撒いているという不可解な状況は、グレシア本国からの補充兵や増援が期待できない状態で戦力を維持するための苦肉の策なのだろう。
しばらくは黙って若いオークの話を聴いていた年老いたオークが、やおら口を開く。
「……ねえ、あんたがあたしの体ことを考えてくれるのはうれしいけどさ、傭兵なんてのは危ない仕事なんだろう? とうちゃんがいなくなっちまってからはさ、あたしゃあんたがだけが生きてく支えだったんだよ? もし今あんたまでいなくなっちまったら、あたしゃこれから先どうすりゃいいんだい? アデナがあればそりゃあ多少は暮らし向きもよくなるだろうさ。でもね、家族が一緒に暮らせるより幸せなこたあないんだよ? ねえ、後生だから考え直しておくれよ」
年老いたオークの搾り出すような重い言葉に、若いオークは先ほどまでの高揚した気分を失いつつあった。だが、まだ若いオークは拗ねたように口を尖らせながら食い下がる。
「そんなこといったってよぅ……じゃあかあちゃんはよ、これからもずっとまともに歩けないような体でいいってのかよぅ」
「……まあ、そりゃあ昔みたいにさ、自由に歩けるようになりゃあいいとは思うけどさ……だからってあんたがケガなんかしちまったら元も子もないんだよ? 第一、あんたに兵隊なんか務まるのかい? まだこの辺りの冒険者と戦ったこともないんだろう?」
このところ、ディオン周辺では冒険者の数がめっきり減り、エンク オークの集落でも彼らと戦った経験のない者が増えていて、若いオークもまたその一人だった。
「まあ……そこんとかぁ確かにかあちゃんの言う通りだけどよ……」
痛いところを衝かれた若いオークはそれ以上反論ができず、ついに黙ってしまった。
「あんたがやさしい子だってえのはかあちゃんがいちばんよく知ってるんだよ。あんたがヒーローだったとうちゃんの跡を継がずにシャーマンになったのも、あたしの体のことを治そうとしてくれたからだろう? 村の者は前に出て戦えない腰抜けだなんて陰口を叩くけどさ、あたしゃあちっともそんなことは思っちゃいないよ? でもね、あたしにゃあその気持ちだけで十分なんだよ。それに、あんたみたいなやさしい子は冒険者と戦うなんてことにゃあ向いてないんだよ。お願いだからもう兵隊になろうなんて物騒なことはもう考えないでおくれよ?」
若いオークは目を逸らして少しずつ下を向いてしまい、ついには無言のまま小さく頷いた。
「さあ、わかったら晩御飯にしようじゃないか。たんと食べてぐっすり寝ちまえばさ、明日にはもっといい思案が浮かぶってもんだよ!」
年老いたオークに促されるまま、若いオークは緩慢な動きで食卓に着いた。押し黙って俯いたまま食べ物を口に運ぶ若いオークに、年老いたオークはあれこれと世話を焼きながら話しかけるが、若いオークはそれに答えようとはしない。気まずい雰囲気ながらもとりあえず食べるものを食べ終わり、ようやく若いオークが重い口を開いた。
「かあちゃん……オレ……」
「なんだい?」
「いや、なんでもねぇよ……オレぁもう寝らあな、おやすみ」
「なんだかはっきりしないねえ。まあいいさ、ゆっくりおやすみ」
若いオークはそれ以上何も語ることはなく、寝床にもぐってしまった。
それからの数日が過ぎたが、若いオークは口数こそ少ないものの、いつもと同じように食料集めに出かけては帰ってくるという変哲のない日常に戻っていた。若いオークも年老いたオークも互いに話を蒸し返すようなことはしなかったし、そのつもりもないようだった。
だがある朝、普段のように朝食の支度を終えた年老いたオークが若いオークを起こそうと声をかけると、いつもなら眠そうな声で返事があるのだが、その日に限ってはそれがなかった。
「おかしいねぇ、昨日遅かったわけでもないのに、まだ目を覚ましてないのかねぇ?」
不審に思い、杖を頼りに若いオークの寝台の側まで行くと、彼が寝ているはずの粗末な寝台はもぬけの殻だった。それだけではない、普段は寝台の下に仕舞っている、狩りの道具などわずかな手回り品を入れたズダ袋もなくなっている。若いオークが近くへ出ているのではないことは明らかであった。
「……そうかい、やっぱり行っちまったんだね……まったく、男の子ってえのは……無鉄砲なとこはとうちゃんそっくりだねえ……」
主を失い冷え切った寝台を撫でながら、年老いたオークは寂しく微笑む。その歪に曲がった背中はいつもよりもずっと小さく見えた。
その頃、ディオン丘陵地帯とクルマ湿地を分断する山地の中を、若いオークが息を切らせながらパルチザンのアジトに向かって早足で歩いていた。
「ハァハァ、なんとかかあちゃんに気付かれずに村を出られたな。もう追いかけてこられる距離でもねえし、ここいらで朝飯を食っちまおうか」
若いオークはひとりごちて近くにあった手ごろな切り株に腰を下ろし、足元に置いたズダ袋を開けて、かねてから用意してあった食べ物を取り出そうとした。だが、その中には食料や手回り品と一緒に、入れた覚えのない古ぼけたワンドが1本入っていた。
それは、年老いたオークが村に侵入してくる冒険者たちと戦っていた頃に使っていたものだった。
ある時、倒した冒険者から戦利品として手に入れたワンドは、世間から見れば安物にすぎないが、貧しい下級オークにとっては貴重な品であり、若いオークは年老いたオークが今でも時折手入れをしては、誰にも触らせないように大事にしまっているのをよく目にしていたものだ。
「かあちゃん……」
そう、年老いたオークは、若いオークがいずれ出て行ってしまうことを予感していたのだ。たとえ一時は止められたところで、いつかそれを振り切ってしまうことは避けられないだろう。ならばその時が訪れたとき、少しでも若いオークの助けになればと、大切なワンドを、こっそりズダ袋の中に忍ばせたのだった。
年老いたオークの気持ちを知った若いオークの眼からは自然と大粒の涙が溢れてくる。しかし、若いオークはそれを流れるままに拭こうともせず、貪るように数切れの干し肉と果物の粗末な食事を終えると、力強く立ち上がり、再びパルチザンのアジトを目指して歩き出した。
「ふう、なんとか冒険者の野郎どもに見つからずに済んだな」
日も傾きかけた頃になってようやくパルチザンのアジトの麓にたどり着いた若いオークは、額から噴出す汗を手で拭いながら山道を登り始める。
巡礼者のネクロポリスを過ぎた当りを通り過ぎようとしたとき、道端で、ガサッと小さな音がしたのと同時に、
「止れっ! 何者だ! 貴様オークだな? 見たところアデン軍の者ではないようだが、ここに何の用だっ、さっさと答えろっ!」
突然の怒鳴り声とともに草叢から飛び出してきたのは、弓を構えたオル マフムの兵士だった。
「お、お、オレぁ、あの、あれで……」
不意に弓を向けられた上、恐ろしい形相で誰何する兵士に気圧された若いオークはすっかり肝を潰し、まともにしゃべることができない。
「早く答えろっ! 答えねば射殺すぞっ!」
だが、それには構わずオル マフムの兵士は誰何を続け、彼が持つ弓は真っ直ぐに若いオークの心臓を狙って外さない。これが決して脅しではないことは、兵士の眼光に射すくめられた若いオークには十分すぎるほど理解できた。
「ち、ちょっと、ま、待ってくれ、オレぁ、こ、これで……」
はっと思いついて若いオークは、おぼつかない手でズダ袋の中を探ろうとしたが、
「動くなっ! 両手を上に上げろっ!」
オル マフムの兵士はそれを制止して、近くの草叢に潜んでいた仲間を呼び、ズダ袋の中を検めさせた。
ズダ袋の中身が地面に撒き散らされ、オル マフムはそれを一つずつ確認していく。
「手ぬぐい、ロープ、干し肉、狩用のナイフか、なまくらだな。ふむ、これといって危険なものは見当たらんな。ああ、こりゃずいぶんと古ぼけたワンドだな。使い物になるのか? ……ん? これは何だ?」
兵士が荷物の中の小さく畳まれた紙切れを広げると、それは自分たちがばら撒いた傭兵募集のチラシだった。顔を見合わせて頷いた兵士たちは、同時に大きく溜息を吐く。
「なんだ、貴様は傭兵の志願者かよ。それならここから少し進んだ右手の砦が窓口になっているんでな、そこに募集係がいるからそいつに会え。まったく、それならそうと早く言えばいいのに、人騒がせなヤツだぜ」
兵士たちはブツブツ言いながら、現れたときとは別人のような緩慢さで草叢に戻って行った。
「ふぅ、あれが本物の兵隊ってやつかぁ、オレに務まるのかなあ? いけねえ、早いとこ荷物を拾わねえと」
心臓を狙う弓の恐怖から解放され、一人取り残された若いオークはしばらく放心したように佇んでいたが、なんとか気を取り直して散らばった荷物をズダ袋の中に詰め込み始める。荷物に付いた土埃を手で掃いながら、一瞬このまま村に戻ろうかと思ったが、ここまで来ておめおめと帰るわけにはいかない。
ズダ袋を担ぐと、若いオークは再び山道を歩みだした。
「ようこそパルチザンのアジトへ! 今しがた歩哨から連絡があった傭兵志願というオークは貴様だな?」
若いオークが指示された場所へ到着すると、そこにはやけに愛想のいいオル マフムが座っていた。これが兵士の言っていた募集係なのだろう。
「なるほど、見たところディオン丘陵地帯のエンク オーク シャーマンか。我らオル マフムにはヒーラーがおらんからな、回復魔法が使える者は歓迎するぞ。それに貴様の種族は昔は共にアデン軍に立ち向かった大切な友人だ。よろしい、入隊を許可しよう。さあ、この書類に名前を書けば契約成立だ」
案外簡単な手続きに少々拍子抜けした若いオークだったが、書類の傍らに備えてあったペンをとると、募集係の気が変わらないうちにと思ってか、大急ぎで名前を記入する。
「へい、書けました! オレぁ必ずお役に立ちまさあ!」
「うむ、元気があってよろしい。では明日からすぐに新兵訓練を受けてもらうことになるぞ。ああそうだ、傭兵の武器は自弁になるが、一応準備をしてあるか見せてもらうことになっておるがいいな?」
「え? 自弁? ってえと?」
募集係がわずかに怪訝そうな表情に変わる。
「チラシにも書いてあっただろう? 武器は得意とするものを志願者が自分で用意することとなっているし、そのための高給でもある。まさか貴様も給料に釣られただけの食い詰め者なのではあるまいな? いや、チラシを撒いて以来、毎日朝からそういった輩が多数押しかけておって、追い返すのも一苦労なのだ。仮にそんな不心得者を採用してしまったら、そやつが除隊になるだけでは済まず、許可を出した儂まで叱責を受けてしまう。いいか、もう一度聞くが貴様は大丈夫だろうな?」
「オレぁ、そんなこたあ……」
正しく図星であった。高給に目を奪われてチラシを細かいところまで読まなかった若いオークには返す言葉がない。
とたんに目の前の募集係の、本人は笑っているつもりで剥き出した鋭い牙が、今にも自分の喉笛に食らいついてくるように思えてきた。
「どうした? 早く見せてくれんか? なに、形式だけのことであるし、決して取り上げたりはしないから心配することはないぞ?」
内心パニックになり、ダラダラと冷や汗を流しながらここを乗り切る上手い言い訳を考える若いオークだったが、辛抱強く待っていた募集係が痺れを切らして立ち上がろうとした頃になって、ようやく年老いたオークがズダ袋に入れてくれたワンドのことを思い出した。
「あ、あの、これでっ!」
若いオークは急いでズダ袋の中に手を突っ込んでワンドを取り出すと、腰を浮かせた募集係に差し出した。
「なんだ、あるなら早く出せばいいものを。ふむ、安物だが手入れはいいようだな。だが、訓練期間なら問題はあるまい。だが実戦ではちと足りんかも知れんな。まあ訓練が終わる頃には最初の給料が出るから、それでもっと高級なものに買い換えればいいだろう」
大切なワンドを安物よばわりされたのには少し腹が立ったが、おかげで無事に入隊することができ、若いオークはほっと胸を撫で下ろす。
その日は簡単な身体検査の後、訓練兵の兵舎へと案内され、他に十名ほどの訓練兵とともに大部屋に寝台が与えられた。
枕元に備えられた私物入れに荷物をズダ袋ごと放り込み、若いオークは硬い寝台に寝転んで休もうとするが、今日はあまりに多くのことがありすぎて、身も心も疲れているはずなのになかなか寝付くことができない。
窓の外にはエンク オークの村で見ていたのと変わらぬ月が浮かんでいる。それを見ているとどうしても村に残してきた母親のことを思い出してしまう。若いオークは月を見るのを止めようと思ったが、闇夜を煌々と照らす満月の光は、いつまでも彼の目を捕らえて離さなかった。
明くる朝、ガンガンとバケツを力任せに叩く音と共に響く怒鳴り声で、若いオークは目を覚ました。どうやら昨夜は知らぬ間に眠ってしまったようだ。
「総員起こしーっ! さあ、ボヤボヤするなっ! いいかっ、ブタ野郎どもっ、お前たちはお客さんじゃないんだっ! さっさと起きて飯を食ったらすぐに訓練場に集合しろっ! グズグズ言いたいやつがいたら前に出ろ! オレが今すぐそのケツに矢を100万本ブチ込んでやるぞっ! 駆け足っ進めっ!」
オル マフムの教官は、バイウムでさえ一発で目を覚ましそうな大声で訓練兵たちを残らず叩き起こし、朝食もそこそこに兵士になるための厳しい訓練へと放り込んだ。
若いオークはヒーラーであるため、魔法知識の座学や精神集中の訓練など、近接職よりは体力的には楽であったが、若いオークは今までこれといった戦いを経験していないし、軍隊のような集団生活にも縁がなかったため要領が悪く、なかなか教官の言う通りのことができない。
実際、ただ魔法を使うだけなら食料集めの狩りでもやっていたので問題はないのだが、軍隊では集団戦が基本であるため、他の魔法職との高度な連携を要求される。そんなことは今まで考えたこともなかっただけに、いきなり上手くできるはずもないのだ。
こうして、訓練を始めてから数日の間は、指導教官から日に数十回も怒鳴られる毎日だった。しかし、オル マフムたちは多少出来が悪くとも貴重なヒーラーを手放すつもりは毛頭ないようで、若いオークがいくら落ち零れそうになっても、決して首にするようなことは言わなかった。若いオークも、元々が真面目で素直な性格であるだけでなく、アデナを稼ぐまではここを追い出されるわけに行かないという事情も手伝って、厳しい訓練にも音を上げず、担当教官の指導に付いていった。
そして、訓練開始から1か月も経つと、同室だった訓練兵が櫛の歯が欠けるように消えていったにもかかわらず、若いオークは残り、訓練でも教官の命令を即座に理解して的確に行動できるまでに成長していた。
この様子を見て教官は目を細め、今まで以上に厳しいが、戦場で生き残るために欠かせない技術や知識を惜しげもなく若いオークに与えてくれた。
訓練期間も終わりに近付いたある日、若いオークがいつものように詠唱の練習をしていると、訓練場では滅多に見かけることがないオル マフム ロードが現れ、教官を呼ぶとなにやら立ち話を始めた。
「なるほど、それならば丁度よい者がおります。おい、お前ちょっとこっちに来い!」
教官が若いオークに声をかける。
「え、オレですかい?」
「そうだ、グズグズするな、駆け足!」
ロードはドタドタと音を立てて走ってきた若いオークを上から下まで検分するようにじろじろと眺めまわす。
「このオーク シャーマンかね? まだ訓練が終わっていないようだが大丈夫か?」
「はい、飲み込みが少し遅いところはありますが、命令にはきちんと従いますし、一度憶えたことは確実にこなせるようになっております。実戦経験を積めばいずれよい兵士になるでしょう」
「ふむ、君の推薦なら間違いはなかろう。よろしい、そこのオーク シャーマン、貴様は今日で訓練を打ち切り、キャッツアイ殿の専属ヒーラーとして実戦部隊に配属する」
「へ?」
今ひとつ事態が理解できていない若いオークに、教官の叱咤が飛ぶ。
「へ? ではない! キャッツアイ様はこのアジトでも最強のボスのお1人だ。その専属に配されるというのは大変な出世なのだから、ありがたくお受けしろ! それから、返事は“へい”ではなく“はい”だっ! わかったら復唱っ!」
「は、はい、オレぁ、もとい、自分はっキャッツアイ様の専属ヒーラーに配されることを了解いたしましたっ!」
「よしっ、ではすぐに荷物を持って移動、駆け足!」
「へいっ!」
「“へい”ではないっ! “はい”だっ!」
「はいーっ!」
若いオークが敬礼もそこそこに兵舎へ向かって走っていくと、教官とロードはその背中を苦笑しながら見送る。
「よいのかね? もう少し手元に置いて育てたいような顔をしておるぞ?」
「いいえ、確かにまだ教育の足りないところはありますが、戦場こそが若者を兵士にする最良の場と心得ます。いかに素晴らしい原石であっても磨かなければ決して光りませんし、磨き方を間違えれば歪な輝きになってしまいます。キャッツアイ様の下であればきっとよい経験が積めることでしょう」
「そうかね、ならばよいが。では儂は戻るとする。訓練を続けるように」
「了解いたしました!」
「おお、お前ぇさんが新しいヒーラーってやつかい? まあそう肩に力ぁ入れるなよ、どうせここんところはアデン軍の連中も冒険者どももあんまり来ねえんだからよ。お互い気楽にやろうぜ」
若いオークが配属されたボスのキャッツアイは、元々は大盗賊として近隣の村々に恐れられていた者だ。そのためか、今まで出会ったオル マフムの兵士たちよりもずっとくだけた性格をしている。仕事もアデン軍や冒険者と戦うというものではなく、アデン王国の村々を襲撃して、金品や食料を略奪してくるというものだ。パルチザンのアジトの兵站を担うという点では重要性が高いものの、大軍同士がぶつかるような激しい戦闘に巻き込まれることはほとんどない。さらに、部下の中には先輩のオーク シャーマンもいるため、ヒーラの負担もそれほど大きくはない。訓練途中での突然の配備は、専属のヒーラーであった者が満期除隊になり欠員が出たためであったが、こうした点が教官がいうところの“よい環境”なのだろう。
「よ、よろしくお願えしますっ!」
「がははは、だから硬くなるなって。他のボスのとこは知りゃあしねえが、オレは元々が軍人じゃねえから、堅っ苦しいやり方ってえのがどうにも苦手でな、ここの連中にゃあざっくばらんにするように言ってんだ。その代わりにな、オレは仕事であんまり細けえことは言わねからよ、なるたけ手前で考えて動くようにしなくちゃいけねえぜ?」
「へいっ! オレぁ一所懸命やらしてもらいます!」
キャッツアイはその返事を聞いて、太鼓腹を揺らして満足げに笑う。
「がはははは、いい若けえのじゃねえか。相変わらず野郎の見立ては間違いがねえぜ。よし、じゃあ早いとこ寝床を決めて荷物を置いてきな。おう、お前たち。新しい弟分だ、せいぜい面倒を見てやんな」
キャッツアイは部下たちに若いオークの世話をするように命じてくれた。
それからは、常にキャッツアイの側について、ディオンやギランなどの村々へ略奪に出かけるのが若いオークの仕事になった。とはいっても、実際に略奪をするのはキャッツアイの役割で、ヒーラーである若いオークの出番は、仕事に失敗して逃げ出すときの警備兵との戦闘程度だ。そして、キャッツアイの盗賊としての腕前は本物で、失敗することは滅多になかったし、仮にそうなったとしても、被害を最小限に抑えて逃走する技と勘を備えていた。おかげで若いオークはさほど危険な目に合わずに順調に実戦をこなし、やがて簡単な仕事であればメインヒーラーを任されるまでになっていった。
キャッツアイや他の部下たちも若いオークの成長を喜び、決して新入りだからといって軽く見るようなことはなく、もちろんつまらないミスをすれば厳しく叱られるが、対等の仲間として扱ってくれた。
まだ物心も付かぬうちに父親を失い、母親と2人だけで、村のオークたちの哀れみと蔑みの入り混じった視線に曝されながら生きてきた若いオークにとって、初めて得た心を許せる仲間たちとの生活は、今まで経験したことのない満足感を与えてくれた。いつしか若いオークの胸中には、この仲間たちと一緒なら、どんな苦境にも耐えられるという確信が芽生え、大きく育とうとしていた。
だがしかし、今が充実すればするほど、村に残してきた母親のことが、黙って出てきてしまったことへの後悔とともに、若いオークの心の隅に引っかかったまま離れることはなかった。
キャッツアイの下に配属されてから2か月ほどもたち、だいぶん実戦にも馴れてきた頃、若いオークは急にキャッツアイから呼び出された。
「なに、折り入ってって話じゃねえからそう畏まんな。まああれだ、お前、訓練の頃からから数えると入隊して3か月ぐれえになるんだよな?」
「へい、その通りです」
「そうかい、ならそろそろ休暇をやらなくちゃいけねえ。いや、ここの軍隊じゃそういう決まりになってんだ。近頃あ仕事に馴れてきたってもよ、お前もちっと疲れが出る頃だろう? ちょうど来週あたりからオレの仕事もヒマになることだしよ、ここいらで2、3日ゆっくり骨休めしてきちゃあどうだ?」
「休暇ですか? そんならオレぁ手前の村に帰ってもいいんですか?」
「おう、逃げ出すんじゃなけりゃどこに行ったって構いやしねえことになってるからな、そこいらは自由にするといいぜ」
「そいつぁありがてえ。そんなら、村のもんに休暇で帰るって手紙を出してえんですが、こいつもいいんですかね?」
「手紙? お前、随分ハイカラなもん知ってやがんな。ああもちろん構わねえよ。確かお前の村はディオン丘陵地帯だったな。あそこなら露営地へ行く伝令の通り道だからな、オレの口利きだって言やあついでに持ってってくれるだろうぜ。そうだ、紙やペンはあるのかい? なけりゃ出入りのドワーフが扱ってるはずだから聞いてみな。今日当たりなら裏山の抜け道に店を出してるはずだぜ?」
「へい、ありがとうございます」
若いオークがパルチザンのアジトとエルフ村との境を通る間道に出ると、そこにはキャッツアイの言ったとおり、ドワーフの少女が雑貨を並べた露店を開いていた。
「よう、ドワーフさんよ、済まねえが紙とペンを少し分けてもらえねえかい?」
「おや? お兄さんボクの店に来るのは初めてだね? 見たところシャーマンだからヒーラーさんってとこかな? うん、紙とペンなら扱ってるよ」
「ちょいと手紙を出してえんでよ、小洒落た紙があるといいんだがな」
「ああ、便箋ってやつだね。それなら前に仕入れたのがあったはずだよ。ええと……あったあった!」
ドワーフの少女は、自分の身長と変わらないほどの大きな荷物に頭を突っ込んでしばらくゴソゴソと中を探していたが、どうにか一冊の古い便箋を見つけ、パタパタと手で埃を払って若いオークに手渡した。
「パルチザンのアジトじゃあんまり使う人がいないから少し古くなっちゃったけど、まだ黄ばんだりしてないから大丈夫だよ」
「おう、ありがてえ。じゃあそいつをもらおうかい」
「毎度ありー。ねえねえ、お兄さん。それは見習い用の武器だよね? もっといいのに買い換えないの? 便箋も買ってもらったことだし、今なら安くしておくよ?」
「いや、こいつはちょっと訳有りでよ、親分も構わねえっていってくれてるしよ、当分買い換えるつもりはねえんだよ」
「そう? ボクも無理にとは言わないけどね。でも、気が変わったらいつでも声をかけてよね。もちろん武器や防具だけじゃなくてもいいんだよ! 欲しいものを言ってくれればドワーフ商人の名にかけて必ず仕入れて見せるからね!」
宿舎に戻ると、若いオークは早速備え付けの小さな机に向かい、何度も何度も書き直しながら手紙を書いた。
丸めた背中に向かって、休暇を羨ましがる同僚たちがちょっかいをかけてきたが、それは悪意があってのことではないし、何より久々に母親に会える嬉しさでいっぱいになっている若いオークは気にかけず、同僚たちはからかいがいがない相手と見て、早々に自分の寝床へ戻っていった。
その夜、若いオークの机では、小さな灯りが消えることはなかった。
翌朝、眠い目をこすりながら書き上げた手紙を、棄てられた露営地に向かって伝令が出発する直前に、どうにか託すことができた。
手紙を出し終えた若いオークがキャッツアイの下に戻ったその時である。ディオンの強欲な冒険者どもが、ボスたちが蓄えた財宝を奪うために襲撃してきたという報せがパルチザンのアジトを揺るがしたのだ。
『いってえなんででやしょうかねぇ』
『ああ、オレにも皆目わからねぇなぁ』
リーダーと手下がオル マフムに混じっているオークのことで相変わらず首を捻っていると、別の手下から声がかかった。
『大将、もうすぐヒーラーのマナが回復しますんで次の指示をお願いします』
リーダーはハッと我に返り、手下を怒鳴りつける。
『バカヤロウ! んなこたぁオレの知ったことか! どうしても知りたいってんだったら、あっち行って当人に聴いて来い!』
『滅相もねぇ、ヘタに1人で出てったりしたら、たちまちペロリと食われちまいまさあ。でえち、あっしゃ化物どもの言葉なんか知りゃあしませんよ』
『だったらグダグダくっ喋ってねぇでさっさと仕度しやがれ! いつまでもウロウロしてっと化物の代わりにオレが手前ぇのド頭ぁカチ割って脳味噌残らず啜っちまうぞっ!』
『ひぃ、そいつぁ勘弁して下せえーー』
手下がスタコラ逃げていくと、リーダーはやおら岩の上に立ち上がり、他の冒険者たちに大声で指示を出す。
『おう、それじゃそろそろ補助魔法にしようじゃねえか! 終わったらすぐに取っ掛かるから近接は配置に付いとけ! いいけぇ? くれぐれも先走るんじゃねぇぞ!』
欲に目を血走らせた冒険者たちは、キャッツアイたちが立て篭もる陣の前に展開すると次々に補助魔法を掛け、逸る気持ちを抑えて攻撃開始の合図を待つ。
『かかれっ!』
リーダーが号令とともに高く掲げた手を振り下ろすと、冒険者たちは堰を切ったように、キャッツアイへと襲い掛かった。
戦闘が始まると、若いオーク シャーマンは必死でキャッツアイに回復魔法をかけ、バンデットはキャッツアイの行動の自由を縛る、冒険者たちの盾役に弓を射掛ける。しかし、彼らの努力も空しく多数の冒険者の刃を受けるキャッツアイの生命力は、わずかずつではあるが、確実に減っていく。
冒険者たちのヒーラーも、キャッツアイとバンデットの攻撃を一身に受け止める盾役に回復魔法を集中し、どうやら序盤はそれぞれのヒーラーの回復魔法を頼みにした持久戦の様相を呈してきたようだ。
だが、そこで突然、冒険者たちのリーダーが叫んだ。
『化物のくせにいちいち回復しやがってうぜぇな。ソウルショットやスピリットショットだってタダじゃあねえんだ、先に取り巻きのヒーラーどもを片付けちめえっ!』
本来、下級オークのシャーマンでは元々大した量のマナがあるわけでなく、この冒険者たちのように十分な戦力があるのならば無視して力で押し切るのが正攻法である。しかし、ここまでの戦いで得られた戦利品が思ったよりも少なかったのだろう。リーダーはその不足を血で埋め合わせようと考え、大きな脅威にはならないものまでをも殲滅するという残酷な決断を下した。
いや、彼を責めるまい。彼とて今はリーダーとして手下の冒険者たちに祭り上げられているが、それも手下たちを満足させることができてのことである。もし指揮の手際が悪かったり、十分な稼ぎを与えることができなければ、すぐに手下たちは離反してしまい、リーダーはたちまち一介の冒険者へと落ちることになる。生き残るのに必死なのはどちらも同じなのだ。
リーダーの命令一下、今までキャッツアイ1人に向けられていた血に飢えた剣が、若いオークや同僚たちへ向きを変えて殺到してくる。
ボスの直属として多少生命力を強化されているとはいえ、ろくな攻撃魔法も持たない下級オークのシャーマンでは、襲い掛かる無数の刃に抗う手段はない。若いオークはなんとか避けようと足掻き、隙を見ては少しでも仲間たちの傷を癒そうと回復魔法をかけ続ける。
キャッツアイも攻撃の負担が少なくなった機会を利用して、部下たちを襲う冒険者に挑もうと横目で様子を探るが、冒険者の盾役が的確に行動を抑え込んでくるため、どうにも身動きが取れないでいる。
「くそぅ、お前らもうちっとだけ頑張ってくれっ! このナイト野郎をブッ倒したらすぐに助けにいっからよ!」
そう叫ぶキャッツアイであったが、手厚い回復魔法に支えられた盾役は、キャッツアイとバンデットの集中攻撃を受けても小揺るぎもしない。
若いオークは大勢の冒険者から手傷を負わされながらも、盾役が倒れてキャッツアイが自由になればと一縷の望みをかけて回復魔法の手を緩めなかったが、ついに頼みのマナも尽き、冒険者たちに取り囲まれてしまった。
周りを見ると、すでにバンデットたちと古参のオーク シャーマンは倒されており、そちらを手にかけた者たちも生き残った若いオークに集まってくる。
一か八か、わずかに開けた方向に逃れようとしても、より数を増やした冒険者に道をふさがれてしまい叶わなかった。弄るように若いオークの周囲を踊る白刃は、少しずつ若いオークの生命力を削いでいく。彼の命があと1分も保たず地上から消え去るであろうことは想像に難くなかった。
「バカヤロウッ! 今ここでお前がブッ倒れちまったら、故郷のお袋さんはどうなっちまうんだよ?! 四の五の言わずに早えぇとこ逃げやがれっ!」
「すまねえ、親分!」
「かあちゃん……ごめん……ごめんよ……」
生命の灯火が消えようとするその刹那、薄れる意識の中で、若いオークはかすかな声でそう繰り返し呟いていた。
『ははは、こりゃ涙じゃねぇか! 皆見ねぇな、コイツ泣いてやがるんだぜ!』
『へぇ、下級オークも泣くのかい? 汗の見間違いじゃあないのかね?』
『おや、なんだかブツブツ言ってるみてぇだな』
『おりゃあ下級オークの言葉なんざぁ知りゃしねぇが、どうせ命乞いでもしてるんだろうよ。まぁかまわねえ、さっさと片付けちまおう!』
そして、若いオークの頭上に、冒険者の無慈悲な剣が振り下ろされた。
「じゃあ、オークのバァさん、こいつが預かった手紙だ。確かに渡したぜ?」
「ああ、こりゃあ確かに息子の字だよ。マフムの兄さん、遠いところをありがとうよぅ」
「なあに、礼なんざいらねえよ、どうせ露営地まで伝令に行くついでなんだ。さて、俺ぁ先ぃ急ぐんでこれで失礼するぜ!」
「そうかい、もう少しゆっくりしていきゃあいいのによぅ。そうだ、こりゃたいしたもんじゃあないけどさ、道中で食べておくれよ」
「おお、こりゃフローティング アイの干し肉じゃねえか。オレはコイツが大好物なんだぜ。舌がピリピリ痺れるのがたまらなくてよ。すまねぇなバァさん、それじゃ遠慮なく頂いていくぜ」
オル マフムの伝令は干し肉の包みを背嚢に詰め込むと、再び棄てられた露営地を目指して走り出した。
「ありがとうよぅ、道中気ぃつけてなぁ」
年老いたオークは、駆けて行くオル マフムの背中が木立に紛れてしまうまで見送ると、傍らの岩に腰を下ろして受け取ったばかりの手紙に目を落とした。
手紙には、つたない字で、キャッツアイというボスの部下になったこと、近く休暇がもらえるので一度村へ帰ること、そして黙って出て行ったことへの詫びと、年老いたオークの体への気遣いがぶっきらぼうな言葉で記されていた。
「……あの子から手紙をもらうなんて初めてなんじゃないかね……それにしてももっと字を練習させときゃよかったね……ミミズがのたくったみたいで読み難いったらありゃしないよ……」
誰が見ているというわけでもないのに、照れくさいのかブツブツと文句を言いながらも最後の1文字まで何度も繰り返して読む年老いたオークの顔はほころび、知らずに目頭には涙が溜まっていく。そして、それが一滴、手紙に落ちた。
年老いたオークはあわててそれを手で拭うと、手紙を丁寧に畳んで腰の物入れに仕舞い、杖を頼りに立ち上がる。
「さあ、今のうちにあの子の好きなもんでも用意しといてやろうかね。ああそうだ、寝床も新しい藁に換えておかないとね。こりゃ久しぶりに忙しくなるねえ」
よちよちと歩き出す年老いたオークの耳に、丘陵地帯を巡る気まぐれな風に乗り、どこか遠くで冒険者たちの上げる凱歌が、かすかに、聴こえてきた。
0 件のコメント:
コメントを投稿